勉強が出来る人、頭がいい人、たくさんいますよね。
「勉強が出来る」と「頭がいい」って似たようなワードですが、明確な違いは何なんでしょうか。
私は「人に物事を教える上手さ」だと思います。
勉強が出来ても、それを人に教えるのが下手な人はたくさんいます。
そういう人もいるんだと初めて思い知ったのは、私が学生時代の頃でした。
目次
英検1級・TOEIC990点満点の先生がいた
私が通っていた高校の英語教師は、英検1級・TOEIC990点満点を取ったこともある凄く優秀な先生でした。(ご丁寧に証拠まで見せてもらいました。)
そんな先生が英語を教えてくれるなんて、さぞためになる授業なんだろうなと入学してから気になっていました。
もちろん、どんなに素晴らしくて質の高い授業内容であっても、教えを乞う側の理解力や実力にも限界があると思いますが、これだけの実績を持っている先生だったら、きっと多くの学生に対して凄く分かりやすい、身に付く授業をしてくれるんだろうと思っていました。
ところが、その先生の指導方法は謎めいたものでした。
宿題は参考書を丸写しさせる
高校入学時、初回の英語の授業が始まるまでの間にやっておくよう、ある宿題が与えられました。
それが、参考書の丸写しでした。
1ページ目から○ページ目まで、参考書を自分のノートに丸写ししてください。記載されている枠線や注釈、色分けされている文字も、なるべく忠実に写してくださいね。
なんだその宿題・・・と思いました。
参考書の重要な部分を何度も書いて覚えてください、とかなら分かります。
中学生時代でもテスト勉強等で何度もやってきた勉強法ですし、確かに身につきます。
ですが枠線や注釈、色まで忠実に書き写しなさいっていうのは...ちょっと意味が分かりませんでした。
参考書を丸コピすることに何か意味があったのでしょうか。
結局この宿題は最初の内だけではなく、分厚い参考書が全て写し終わるまで、長い間課せられました。
授業は、教科書の例文をひたすら日本語訳していくだけ
授業では、使っている教科書に載っている例文をひたすら日本語訳するだけでした。
確かに英文を日本語訳するのは大事な勉強です。
その際に出てくる英単語やSVO等の文法の解説等は先生も行っていましたし、ためになる内容ももちろんありました。
しかし、授業内容は延々とこれだけでした。3年間。
なんかもうちょっと、穴埋め風の練習問題を解いてみるとか、そういう実践形式の授業をしてほしかったです。
この教科書の例文をひたすら日本語訳するだけの授業はワンパターン故、狡猾な生徒がネットでその教科書の日本語訳を集めたページを見つけるという攻略法を取られて、授業で当てられてもそれをただ読み上げるだけという、なんか双方が可哀想になってくる展開になっていました。
結局、単語帳や問題集を買って自習していた高校時代
学校の授業がそんなことだったので、大学受験に備えて自分で教材を買い揃えて勉強していました。
センターは自己採点8割超えだったので、とりあえずは自習でも成果は残せたと自負しています。
が、学校の授業内容で満足していたら絶対に伸びていなかったと確信しています。
勉強方法は人それぞれ。だが先生はその中でも少数派な手段を取っていたと思う。
学校の授業では英語は絶対に伸びない、と私は思ったのですが、あの方法がぴったり当てはまる人も中にはいると思います。
そのうちの1人は、まぎれもない先生本人です。
大多数が納得行かない勉強法でも、先生はそれで英検1級・TOEIC満点を叩き出しているのですから、ある種の天才だったんだと思います。
しかし、それが万人に通用する勉強法ではないことに先生は果たして気づいていたのか...いや気づいていなかったのでしょう。
この事態に、生徒側が泣き寝入りしていた訳でもありません。
もう少し実践問題の解説をしてほしいと抗議した学生もいましたが先生は
この勉強方法がしっかりと身につけば英語は簡単に理解出来るようになる。
だからがんばれ。
と一蹴。
残念です。
まとめ
勉強が出来る人と、頭のいい人は違います。
自分が何かを理解するに至ったプロセスが、必ずしも他人に通用するとは限りません。
この分野を全く知らない人にはどういう言葉で説明したらいいだろうとか、自分のこの理解の仕方を説明しても分かってもらえないかもしれないなと、他人の立場・状況を鑑みて色々な考えを張り巡らせた上で教えてくれる人は、きっと頭がいい人なのだと思います。